スパコンの開発、データサイエンティスト、起業、AIエンジニアなど多様なキャリアを歩む高木悠造のキャリアパス

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株式会社エムスリーのAIラボ所長として、画像診断領域での事業を推進してきた後に、現在はPreferred Networksで事業開発を担う高木悠造さん。副業を含めるとこれまで10社以上に携わり、エンジニアとしてのキャリアを積み重ねてきました。その背景にはどういった決断・想いがあったのでしょうか。メンタリングへの意気込みとあわせてじっくりお話を伺いました。

プロフィール| 高木 悠造

大学院で、宇宙線生成過程の数値シミュレーションの研究の後、富士通にて京コンピュータの研究開発を行う。
その後、DeNAでデータサイエンティストとゲームデザイナーとして7本の新規ゲームの立ち上げとBI環境の整備を行う。
複数のスタートアップと起業で、プロダクトマネージャーに従事。投資ファンドやエムスリーで医療AIビジネスの事業責任者を務めた後、現在はPreferred Networksで事業開発に従事している

プログラミングは研究の手段。決して好きだったわけではない

―まずはこれまでのキャリアについて教えてください。

初めてプログラミングに触れたのは22、23歳の頃。スタートとしては遅いと思います。そもそも教養学部の時はキーボードの扱いが苦手だったため、できるだけコンピュータからは距離を置いていました。

大学時代は東京大学の理学部で宇宙線物理の研究をしていました。物理で式を解くことによっていろいろな現象のメカニズムを明らかにしていくアプローチが好きだったのですが、解析的な仕事は40年前までにほとんどやり尽くされています。

その先の領域で最先端の研究をしていくためにはコンピュータが不可欠。 好きだった・興味があったというより、あくまで必要にかられてプログラミングを始めたという感じですね。

 
―そもそも大学で物理をやろうと思ったきっかけは?

高校時代に一番面白いと感じたからです。もともと数学が好きでしたが、数学は何の役に立つのかわからない。物理は化学や生物と比べて数学に近いうえ、役に立ちそうだなと。

それで大学院に進んだのですが、当時は産学連携が盛り上がっていた時期。本来金銭的な対価を求められないはずの基礎研究さえも「儲からなきゃいけない」みたいな変な風潮がありました。さらに東大で教授になると、雑務に追われて研究には打ち込めなくなる。「これは微妙だな…...」と。それで博士課程を1年で辞めて就職活動を始めたんです。

何社かまわったなかで一番ピンときたのが富士通の研究所。国の予算を使ってスーパーコーコンピュータ「京」をつくる仕事です。大学時代には研究でスーパーコンピュータを使っていたこともあり、それをつくる側になれることに惹かれ入社しました。
 
 
―富士通では具体的にどんな仕事を?

ハードウェアエンジニアとしてCPUとCPUをつなぐ通信の部分、インターコネクトという専用チップの設計・開発に4年間携わりました。1つのプロジェクトでしたが、リリースした時の達成感はとても大きかったですし、社内の優秀プロジェクト賞や社長賞ももらいました。
 
 

DeNAのゲーム開発からAIの領域へ

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―高木さんは2011年に富士通を退職し、DeNAに入社されます。この決断にはどういった背景があったんですか?

富士通での研究は、国の膨大な予算を使って行っていました。しかし成果物であるスーパーコンピュータはコストが高く、多くの事業所や計算機センターでの導入は難しい。
さらに、国の予算を使っている関係で、この研究をいつまで続けられるかわからない不安もありました。

研究を続けていくには、やはり自分たちでお金をつくっていく必要があります。たとえばGoogleのように広告プロダクトをしっかり収益化したうえで、研究開発に投資していくのが本来あるべき形だと思います。

富士通ではその理想形を目指しにくい構造があったことと、自分自身も長期間、研究開発をしてきた背景もあり、一度、収益を上げる事業に振り切ってみたいという思いから、当時ゲーム事業で急成長をしていたDeNAへ転職しました。

ITという軸もズレていないし、ゲームで蓄積したユーザーの利用ログ=ビッグデータを取り扱う仕事はハイパフォーマンスコンピューティングのユーザー利用という点でもつながっています。

DeNAに在籍した2年間は、トータルで7本のゲームをリリースしたほか、ゲーム内データの分析や、ゲーム企画、サードパーティのコンサルティングなども担当しました。そんな中で、徐々にゲーム以外の領域に関心が移っていったんです。
 
 
―当時(2013年頃)は、fintechやedtech、healthtechなどの既存産業にテクノロジーを導入していくスタートアップが出始めた時期ですよね?

そうです。データの観点から見ると、機械学習にゲームのデータは使いにくいと考えていました。
ゲームにおけるデータというのは、ユーザーはすぐに飽きるというサービス特性から積み上がっていきにくい性質があるため、機械学習によって予測し最適化するより、常に企画を打ち続けていくことが肝になってきます。

一方、教育や医療といった分野では、子ども、患者さんといった属性は常に変わりません。データが安定しているので、機械学習を活かしやすいのではないかという仮説を持っていました。

そして実は、大学時代に予備校の講師をしていたこともあり、教育には興味がありました。そこで、edtech系のスタートアップへ転職しました。
 
 

約4年間で5社を経験

―2013年にDeNAを退職された後は、半年から1年のスパンで転職を繰り返していますよね。

はい。前述のedtech系スタートアップではデータを取るための環境構築から担当し、データインフラから自作のBIツールの開発まで行いました。ただ事業が資金的に苦しくなってしまったことと、それに伴って社内の雰囲気が悪くなっていったこともあって、けっきょく半年ほどで辞めました。

次のKAIZEN Platformは、webのABテスト用のSaaSを開発している会社です。プロダクトマネージャーとして入社して組織づくりから始め、最終的にはプロダクトマネージャーのグループマネージャーをやっていたんですが、営業サイドと開発サイドでコミュニケーションの問題があり、頭を悩ませていましたね。
 
 
―具体的にはどんな問題ですか?

SaaSやフラットな組織でよくありがちな問題なんですが、営業サイドは常に新しい機能を求めます。「この機能があればビッグクライアントから受注できる」と。
それに対して開発サイドは開発リソースに限りがあるという前提で、「それ本当に必要な機能?」、「そのクライアントのワークフローを変えたほうが顧客にとっても良いのでは?」と考えるので、争いが生まれます。
逆に言うと、SaaSではこの争いをうまく調整できる会社が伸びているんだと思います。

そんな中、DeNA時代の同僚から誘われ、一緒にゲーム会社を起業しました。ただ、開発を進めていく過程でアプリの機能を増やすか、動作を安定させるかという議論が続き、そうこうしてるうちに、開発予算もどんどん厳しくなっていく。
最後はお互いが議論を避けるようになってしまって...。1年半くらいで「このまま一緒に続けていくのはお互いのためにならないだろう」と思い至りました。

この頃から副業でやっていたAIの画像診断に誘われていて興味が移りつつあったのも相まり、複合的な理由でゲーム会社を退職しました。転職の理由は常に1つではないんですよね。
 
 

研究開発が活かしやすい事業領域と経験からの興味

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―ゲーム会社を退職後、1社をはさみエムスリーに入社されます。いずれも医療系ですが、これには何か理由があったんですか?

先ほどお話したように、ビッグデータが活かしやすい事業領域であったことが1つ。もう1つは自分自身の過去の経験ですね。

16年前にガンで母を亡くしたんですが、母のガンが再発した時、自分の中にあった「病院側が見落としていたんじゃないか」、「画像診断があれば何とかなったんじゃないか・・・」という気持ちの整理のつもりで始めました。
もちろん画像診断の難しさはのちのち知ることになるんですが、そういう経験もあったことで、自分のスキルや志向に見合う仕事をようやく見つけられました。

2016年に入社したバイアウト系投資会社では、レントゲン画像をAIで解析して疾患を診断するプログラムを開発する事業を担当しました。詳細はお伝えできませんが、コンプライアンス上の問題で、事業責任者として将来起きうることの責任を取るのが困難と判断して、この会社でやれることの限界も見えてきたことがきっかけで独立を考えました。

事業のキーファクターが「広く浅い連携で大量のデータを取得できる体制を作ること」だったので、全国の医師のネットワークを持つエムスリーに提携を持ち掛けたところ、エムスリーの中でやってほしいということでジョインしました。

仕事としては自社サービス向けのレコメンドエンジンの開発から始まり、製薬メーカーとの連携をベースにした画像診断エンジンの開発、さらに海外ベンチャーとの事業連携やベンチャー投資のデューデリジェンス、大手メーカーなどとのアライアンス提携など、エンジニアリングとビジネスの両面でいい仕事をさせてもらえたと思っています。

ただ、エンジニアリングに関しては会社ではほぼ時間が取れなかったので、帰宅後や週末も仕事をしなければならないほど忙しくなるなど、エンジニアリングとビジネスの両立の難しさを感じ始めていました。さらに長男が生まれたことで、家庭とのバランスを取るのもさらに難しくなっていました。

そこで正月の休み期間に冷静に自分の人生を見つめ直し、優先順位を変える決断をしました。ワークライフバランスが取りやすく、かつ自分がやりたい事業領域の会社で新しいチャレンジすることにしました。

 
 
―キャリアの最初は研究開発、分析をやってユーザーのことがわかったところでプロダクト開発。さらに起業の経験を経て、アライアンスなども含めてビジネスにも携わったと。エンジニアとしてはユニークなキャリアですよね。

富士通での経験をもとに、研究開発の成果をいかにビジネスに繋げるかという点を常に考えていましたね。それを実現するためには、メーカーからコンサルに行く道もあるのですが、自分の場合はその間に起業や事業立ち上げを経験できたのが大きかったかもしれません。ようやく点と点がつながって、10年くらい前から考えていた立ち位置にたどり着けた気がします。
 
 

技術開発の成果をどうビジネスにしていくか

―高木さんのキャリアのなかで、一番悩んでいた時期、モヤモヤしていた時期はいつですか?

富士通からDeNAへ行く時です。スーパーコンピュータ開発の実情を目の当たりにし、いま目の前にあることを一所懸命やったとしても、10年後、20年後にはその仕事がなくなるかもしれないと不安を感じていました。

自分が40歳を過ぎたときに、それまで会社の大きな意思決定にほぼ関わることもないまま早期退職というような状況になってしまうと、自分ではな何もできないまま会社を恨むしかない。
それだけは嫌で、それを避けるためにどうするべきかずっと模索してきたような気がします。

繰り返しにはなりますが、Googleのようにプロダクトでしっかり収益を確保しつつ、中長期的な研究開発をしていくのが理想です。Googleのようなスタイルに自分がどうアプローチしていくか、エンジニアリングの成果をいかに売って収益化していくか、常に考えてきましたね。
 
 

自分の知り得る情報はすべて提供する

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―これまで数回メンタリングをしていただきましたが、参加者の方と向き合うにあたって意識している点、進め方について工夫している点などはありますか?

型をつくって杓子定規になるとだんだん型にはまりすぎて顧客満足度を高められなくなると思うので、進め方にはこだわりません。目標にしているのは、自分が知り得る情報をすべて提供することと、「この場で話してよかった」と思ってもらうこと。この2つを念頭に置き、相手に合わせて進めていきます。もちろん事前に頂いたプロフィールや経歴書は読みますが、あとはその人、その場の雰囲気に合わせてです。

僕の強みは、多くの会社でエンジニアリングからビジネスまでを経験していることで、局所的な視点ではなく、俯瞰した視点を持っていることかと思います。具体的な相談には、手法も含めて、知り得る限りの情報を提供したいです。
 
 
―高木さん自身は周りからどういう人だと言われますか?

あまり言われることはないですけど…...。基本的な仕事のスタイルとしては、相談を受けるタイプですね。巻き込まれることが多いですが(笑)、もちろん相談を受けたらきちんと応えるようにしています。どんなに忙しくても、相談されたら手を止めます。
 
 
―休みの日は何をされていますか?

基本ゲームしかやっていません(笑)。最近だとクラロワとNintendo Switchとか。
 
 
―最後に相談に来られる方へメッセージをお願いします。

答えられることはざっくばらんに包み隠さず話すので、何でも相談してほしいですね。あと、僕は副業を含めるとこれまで10社以上経験しているので、それなりに客観性もあるかと。人間関係から組織の話、先ほどのようなSaaSの話までいろいろ話せると思います。
 
 
―ありがとうございました。

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